英俳優サー・パトリック・スチュワート、86歳で死去 シェイクスピアや「スター・トレック」など数々の名演

「EMPIRE AWARDS」と書かれた白い背景の前で、ダークスーツ姿の男性がカメラを見据えて、口を閉じてほほえんでいる
画像説明, 2017年3月撮影のサー・パトリック・スチュワート
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イギリスの俳優サー・パトリック・スチュワートが28日、亡くなった。86歳だった。スチュワート氏のインスタグラムの公式アカウントが29日、アルツハイマー病とレビー小体型認知症を患った後、米ロサンゼルスの自宅で死去したと発表した。

イギリスのロイヤル・シェイクスピア・カンパニーなどで古典を演じる舞台俳優としての評価を確立した後、米テレビシリーズ「新スター・トレック」 で艦長を演じ、世界的な人気を得た。動物愛護や家庭内暴力に反対する運動などにも、長年かかわった。

最後の映画出演は、12月公開予定の「アベンジャーズ/ドゥームズデイ」で、長年演じ続けた「プロフェッサーX」を演じている。

関係者はインスタグラムで、「私たちは深い悲しみとともに、サー・パトリック・スチュワートが昨日、ロサンゼルスの自宅で逝去したことをお知らせします。アルツハイマー病とレビー小体型認知症との短くも深い旅路の末、最愛の妻サニーの愛情深い看護を受けながら旅立ちました」と発表した。

「彼は家族や友人たちに温かく抱きしめられ、音楽の生演奏と祈り、涙、笑いに囲まれ、そして一生をかけて私たち全員に献身してくれた果てに彼だけが呼び起せる、深い感情に囲まれていました」と家族は書き、「彼の顔に浮かんだ穏やかな安らぎと深い思索を、私たちは永遠に大切にします。その表情は、彼の不屈の気高さをいつまでも伝えるものでした」としのんだ。

ベージュ色の宇宙船の艦橋セットに、黒とえんじ色の制服姿の男性2人が真剣な表情で立っている。背後には、黒と黄土色の制服姿の乗務員役の俳優たちがいる
画像説明, 1987年から始まった米テレビシリーズ「新スター・トレック」では、有能なジャン=リュック・ピカード艦長(右)を演じた。

公式インスタグラムの追悼はさらに、「ヨークシャー州ウェスト・ライディングのミアフィールド出身の彼は、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーから出発し、ブロードウェー、映画、テレビで60年にわたり、等しく評価されたキャリアを築きました」と続けた。

「朗々と響くその声とたぐいまれな才能は、あらゆるジャンルで忘れがたい演技と共に永遠に記憶されるでしょう。どこまでも詩的で複雑な人間の在り方を探求し、マーベル・シネマティック・ユニヴァースの隅々だけでなく、宇宙船エンタープライズ号に乗って、サイエンス・フィクションの最も象徴的な最後のフロンティアにも希望をもたらしました」

「プロフェッショナルとしての功績と同じくらい、謙虚な慈善活動と社会運動でも功績を残しました。人権、家庭内暴力の被害者、世界の難民、退役軍人の心の健康支援、そして特に愛した保護犬のピットブルたちの福祉のために尽力しました。彼は騎士であり、大学総長であり、モータースポーツ愛好家であり、ハダースフィールド・フットボールの終生のファンでした。芸術においても人生においても、あらゆる役柄に持ち込んだ尊厳、思いやり、人間性が記憶されるでしょう」

公式アカウントの声明は、スチュワート氏の回顧録からの引用で締めくくった。

「私と同じように、ジャン=リュックは普通の人間の経験の枠をはるかに超える特異な人生を生きた。しかし彼もまた、地球の故郷に根差す原点に忠実であり続けた。それこそが、彼のアイデンティティーを形作ったからだ。彼は最終的に、故郷に呼ばれていることを実感する。それは私も同じだ」

公式アカウントはさらに、「追悼の献花の代わりに、ジョンズ・ホプキンス大学アルツハイマー病研究センター基金およびアルツハイマー財団オブ・アメリカの介護者支援基金への追悼寄付」を呼びかけている。

バッキンガム宮殿の赤いじゅうたんの部屋で、白地に黄色い花のドレスを着たエリザベス女王が、ダークスーツ姿のスチュワート氏に勲章を授けている
画像説明, 2010年にエリザベス女王からナイト爵の位を授けられ、「サー・パトリック」となった

古典からSFまで自在に行き来

70年に及ぶキャリアの中で、スチュワート氏は複数のエミー賞やゴールデングローブ賞など数々の賞を受賞し、エリザベス女王からナイト爵位を授けられ、「ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム(名声の歩道)」で「星」を獲得した。

俳優としての芸域はことさらに広く、悲劇も喜劇も、サイエンス・フィクションも歴史劇も、古典も現代劇も自分のものにした。

多くの俳優が同じような役柄に固定されてしまいがちな中で、スチュワート氏は映像から舞台、シェイクスピアからディケンズ、エンタープライズ号の艦橋から「X-MEN」のプロフェッサーXの車いすまで、自由自在に行き来した。

1940年7月13日にイングランド北部で生まれたスチュワート氏は、子どものころは地元のクリスマス劇などに出演した。1966年にブリストル・オールド・ヴィック劇場で俳優修業の奨学金を獲得した後、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに参加し、プロの俳優としての第一歩を踏み出した。

テレビドラマのセットで、中世風の華やかな衣装を着た俳優たちが「ハムレット」の場面を演じている
画像説明, 1980年放送のBBC版「ハムレット」でクローディアス(中央)を演じたスチュワート氏。左のハムレット役はデレック・ジャコビ氏、右のレアティーズ役はデイヴィッド・ロブ氏

1967年には、イギリスの長寿連続ドラマ「コロネーション・ストリート」の第1話で消防士役を務め、テレビデビューした

それから20年にわたる数々の舞台やテレビ出演を経て、1987年にアメリカで放送が始まった「新スター・トレック」シリーズとその後の映画シリーズで、ジャン=リュック・ピカード艦長を演じ、世界的に知られるようになる。

2000年には、イギリス演劇界の盟友、サー・イアン・マケレンと共に映画「X-MEN」シリーズに出演。2009年からは、マケレン氏と舞台「ゴドーを待ちながら」で共演した。

(編集部注:日本では「マッケラン」と表記されることの多いSir Ian McKellenの姓を、BBCは本人や周囲の発音に近い「マケレン」と表記します)

ところどころ穴の開いたすすけた板が敷かれた舞台の上で、穴やほつだらけでみすぼらしい衣装の二人の俳優が笑顔で踊っている
画像説明, ベケット作「ゴドーを待ちながら」の舞台で共演したスチュワート氏(右)とマケレン氏

相次ぐ追悼

マケレン氏は長年の友人を追悼し、スチュワート氏に関する「最初の強烈な記憶」として、スチュワート氏が「スター・トレック」シリーズへの出演を検討していると打ち明けた時のことを振り返った。マケレン氏は、当時の自分は「舞台俳優としてのキャリアを考え」て、その役を引き受けないよう忠告したものの、「だが彼はその賭けに出た。そして彼がそうしてくれたことに、私たち皆が感謝している」と書いた。

「何よりもまず、パトリックを形作っていたのは、彼が生まれ育ったヨークシャーだった。イングランド北部のその誇り高き州を、彼は最期まで愛していた」、「パトリックは自分が何を考え、何を感じているのかを率直に語る人だった」とも、マケレン氏はしのんだ。

「彼は感情を隠さない人だった。だからこそ彼は頼れる人、尊敬できる人だったし、私の場合はだからこそ彼を愛することができた」

2人は数々のインタビューでも、お互いをいかに大切に思っているか公言していた。マケレン氏は2013年、スチュワート氏の結婚式で司式も務めた。

檀上でマイクを持って笑顔で話す二人
画像説明, ピカード艦長とカーク船長を演じたスチュワート氏(左)とシャトナー氏

訃報を受けて、ほかにも追悼の声が相次いでいる。「スター・トレック」シリーズでジェイムズ・T・カーク船長を演じ、「ピカード艦長」のスチュワート氏と共演した俳優ウィリアム・シャトナー氏は、「素晴らしい同僚だった」と振り返った。

「実に胸が張り裂けるような1週間だった。サー・パトリック・スチュワートは友人で、同僚で、そして素晴らしい俳優だった」、「舞台からエンタープライズ号の艦橋に至るまで、彼は知性と気品、そして深い人間性をあらゆる仕事にもたらした」と、シャトナー氏は追悼した。

「ピカード艦長は私たちの最良の部分を体現していた。その役を演じた人も、同じだった。私は彼とその仕事に愛情と敬意を抱いていた」、「私の思いは(スチュワート氏の妻)サニーとご家族とともにある。彼がいなくなって本当に寂しくなる」と、シャトナー氏は悲しんだ。

スチュワート氏は1987年から1994年にかけて170話以上でピカードを演じ、その後も4本の映画に出演。さらに2020年から2023年の「スター・トレック:ピカード」でも再びこの役を演じた。

「X-MEN」シリーズで共演したヒュー・ジャックマン氏も、「私たちは今日、舞台と映像界の偉人の一人を失った」とインスタグラムに書き、スチュワート氏を「素晴らしい友人であり人物だった」と追悼した。

さらに、「私は彼から多くを学んだ。パトリック・スチュワート、あなたを一生忘れない」と述べた。

舗装された歩道に星型のタイルがいくつも埋め込まれている。そのうちの一つに赤いバラと花環が供えられている
画像説明, ハリウッドの「ウォーク・オブ・フェイム(名声の歩道)」のスチュワート氏の「星」には、花が供えられた(29日、ロサンゼルス)

ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)は、スチュワート氏を「舞台と映像の双方における巨人」で「同世代で最も優れた古典シェイクスピア俳優の一人」と評し、その貢献は「計り知れない」と述べた。

さらに、「世界で最も有名なシェイクスピア俳優の一人でありながら、サー・パトリックはそのキャリアを通じてストラトフォード・アポン・エイヴォンとRSCとの強い結びつきを保ち続けた」と述べた。

「スター・トレック」の公式SNSアカウントも、ジャン=リュック・ピカード艦長を演じたスチュワート氏の死去を受けて感謝の言葉を投稿した。

「その声。その存在感。唯一無二の艦長だった」と公式アカウントはたたえ、「サー・パトリック・スチュワートは世代を超えたファンに、星を見上げるよう応援する象徴的な存在を与えてくれた。私たちは今日、その並外れた人生と永続する遺産を称える」と続けた。

マーベルはソーシャルメディアで、「マーヴェル・スタジオ一同は、サー・パトリック・スチュワートの訃報に深く悲しんでいる。サー・パトリックは卓越した気品、知性、人間性をもってプロフェッサー・チャールズ・エグゼヴィアに命を吹き込み、『X-MEN』から『LOGAN/ローガン』、そして『アベンジャーズ/ドゥームズデイ』に至るまで、世代を超えたファンにとってこのキャラクターを決定づけた」と書いた。

さらに、「比類ない才能の持ち主で、寛大な協力者であり、本物の紳士だった。私たちの思いは、妻サニー、ご家族、ご友人、そしてその芸術に接した世界中の無数のファンとともにある」と追悼した。

スチュワート氏は大の動物愛護家で、ピットブルの保護活動を行っていた。

英王立動物虐待防止協会(RSPCA)もスチュワート氏を追悼。RSPCAのトーマス・シュルツ=ヤーゴウ氏は、「ピカード艦長やプロフェッサーXといった象徴的な役柄が、彼の映像作品の遺産を形作った。しかし、サー・パトリックは動物福祉の分野でも真の巨人で、私たちは彼と一緒により優しい世界を目指して活動できたことを誇りに思う」と述べた。

「特にサー・パトリックは、その有名な声を駆使して、犬種を問わずあらゆる犬のために尽力した。その優しさ、思いやり、そして提言活動を、深く惜しむ」

「女性への暴力を止めろ」と書かれ、掌紋が映し出された背景を前に、同じ模様のピンバッジを襟に着けたスチュワート氏が立っている
画像説明, スチュワート氏は、女性に対する家庭内暴力に対する運動にもかかわった。写真は2004年3月、ロンドンで開かれたアムネスティー・インターナショナルの「女性への暴力を止めろ」キャンペーンのための記者会見会場で撮影

ひたすらシェイクスピアを暗記

パトリック・ヒューズ・スチュワート氏は1940年7月13日、ヨークシャー州ウェスト・ライディングのミアフィールドで生まれた。

母グラディス氏は繊維工場で働いていた。アマチュア演劇に熱心で、3人の息子たちにも参加するよう勧めていた。

父は英軍パラシュート連隊の元上級曹長で、第2次世界大戦でダンケルク撤退作戦を経験したことから、心の健康をひどく損なっていた。

「父は、とても強烈な人物だった」とスチュワート氏は後に回想している。「父が閲兵場を横切ると、鳥がさえずるのをやめると言われていた」。

しかし、アルフレッド・スチュワート氏は短気になり、戦後は現在でいう心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんだ。酒癖も悪く、自分のいら立ちや不満を家族にぶつけることが多かった。ただし、息子のパトリックを暴力の標的にすることはなかった。

スチュワート氏は2007年、家庭内暴力(DV)の被害者を支える慈善団体のアンバサダーに就任した。2012年にはBBCに対して、戦後に帰還した父から、母親が暴力を受け続けるのを目にした経験について話していた。

若き日のスチュワート氏は、学校の教師の影響で演劇を愛するようになった。教師の一人が彼にシェイクスピアを紹介し、演じるよう勧めたのがきっかけだった。公の場での初舞台は、地元の教会による「シンデレラ」の公演だった。

15歳で学校を卒業すると、地元紙デューズベリー・リポーターで記者と、死亡記事の執筆者として働くようになった。

また、地元でさかんだった演劇活動にも情熱的に打ち込んだ。

「シェイクスピアをよく、暗唱していた」と、かつてチュワート氏は話した。

「あのたくさんの長台詞(ながぜりふ)を、ひたすら暗記していた」